僕の人生すべりまくり➀ P.N あめふらしー

とことこニュース51号で掲載した。

あめふらしーさんの生活、学生時代、自立生活の話です。

ニュースでは、写真などが入ったバージョンで

お楽しみ頂けますが今回はテキスト版です。

正規版は とことこニュース51号(PDF)でお楽しみください。

今回は、長編なので2ページでです。

「僕の人生すべりまくり➁」も続けてお読みください。

僕の人生すべりまくり➀

自己紹介します

みなさんこんにちは。あめふらしぃーといいます。僕は平成2年に926gの未熟児で生まれました。脳性まひという病気で自分の思うように手足や体を動かすことができないので車椅子に乗って生活しています。今日は障害者の気持ちを少しでも知ってもらうために車椅子での生活と経験してきたことをお話ししたいと思います。

色々あった学生時代

まず初めに僕が学生の頃の話をしたいと思います。中学校まで地域の学校に通っていました。入学前に小学校の先生との話し合いでは、養護学校か障害児学級を勧められましたが、幼稚園のときからの友達も多かったしみんなと一緒に勉強したり、遊んだりしたいという思いが強かったので「みんなと同じ教室で勉強したいです」と先生に両親と一緒にお願いしました。そしてなんとかみんなと同じ教室で勉強出来るようになりました。ですが僕がみんなと同じ教室で勉強をするには工夫しないといけないことがたくさんありました。例えば、授業中に黒板に書いてあることをノートに書き写すにしても僕は時間がかかってしまうので、授業中に書ききれるか不安でした。そんな時は、同級生がノートを貸してくれて家に帰ってからゆっくり書き写していました。中には「君は車椅子だから楽でいいよな」と言われたり、ときには車椅子で遊ばれたりしました。長時間車椅子に座っているとおしりや腰が痛くなります。それに車椅子で遊ばれたときは、車椅子は自分の足と同じぐらい大切なものなのに、それで遊ばれている様子を見て、僕はとても悲しかったです。このように嫌なことをいう同級生もいましたが、気持ちよく手伝ってくれる同級生もいました。それ以外でも教室移動のときに車椅子をおしてくれたり、僕が通っていた学校はエレベーターがなかったので上の階にある教室に移動する時は同級生たちみんなで僕を抱えてくれる人と車椅子を運ぶ人に分かれて僕を教室まで連れていってくれたりしました。同級生たちに助けてもらえない食事介助やトイレ介助は介助員さんに助けてもらっていました。他にも学校行事などにもたくさん参加しました。小学生と中学生のとき、西宮市内の小中学生が甲子園球場に集まって運動会をする「連合体育大会」に参加して組体操をしたことで
す。僕が組体操に参加できる方法を同級生が僕と一緒になって考えてくれました。そして当日は「ピラミッド」という人と人が重なり合ってピラミッドをつくっていくという演目に参加したり、どうしても参加できないところは号令をかけたりしました。有名な甲子園球場で運動会が出来たという充実感があってとても思い出に残っていますし、運動会前から僕と一緒になって僕が参加できる方法を考えてくれた同級生たちに感謝しています。

この頃思い描いていた夢

僕にはこの頃から「いつか両親と離れて一人で暮らしたい」という目標がありました。理由は、あるテレビで障害のある人が在宅で仕事をしながら一人暮らしをしているという、ドキュメンタリーを見て「すごいなー」と感じて僕もしてみたいと思ったのと同時に障害があっても自分らしく生活したいと思ったからです。ですが、その夢を実現するためにはどう行動すればいいのかわかりませんでした。ただなんとなく「両親と離れて一人で暮らすには、自分でできる事を増やさないといけない」とは思っていたので高校は両親と離れて兵庫県の西の方にある養護学校に進学しました。僕の高校は全寮制といって学校の勉強から洗濯、ご飯、お風呂、就寝までを同級生や先輩、後輩と過ごすという形の学校でした。また時間がかかっても自分でできることは自分でやるという学校のルールだったのであまり先生には手伝ってもらえませんでした。そういう環境だったので「いつか両親と離れて一人で暮らすには自分でできる事を増やしたい」という目標に向かって練習するには良い場所だと思いました。ご飯はみなさんと同じように調理員さんに作ってもらって、お風呂は浴槽に入るときと頭
を洗うのは先生に手伝ってもらっていましたが、身体は自分で洗っていました。洗濯も入学した頃は今まで母にお願いしていたので何をどのように工夫したら自分一人でできるのか全くわかりませんでした。そのときは学校の先生や先輩に教えてもらいました。そのおかげで高校を卒業する頃には一人でできるようになりました。こうして「いつか両親と離れて一人で暮らしたい」という目標に向かって少しずつできることが増えていきました。


あいえるせんたーに通い始めて

これまでお話してきたように「いつか両親と離れて一人で暮らしたい」という目標に向かって少しは進めていましたが、まだ何から始めればいいのかわからなくて悩んでいたとき、知り合いから「僕の通っている作業所に来てみない?」と誘われあいえるせんたーに見学に行きました。あいえるせんたーに見学に行って思った事は、みんな明るくて楽しそうだなーと感じました。そしてそこには一人暮らしをしている先輩がいて僕もこの先輩たちみたいに少しずつ一人暮らしに向けて必要なことや体験談を聞きながら一緒に仕事がしたいと思いました。あいえるせんたーは、一人一人が出来る仕事を見つけて活動している障害者の作業所(障害者が働いているところ)です。そして2014年の8月からあいえるせんたーで働いています。バザー販売や焼き芋販売、パソコンでの仕事、授産品の作成販売や啓発活動などをしています。福祉教育も啓発活動としてやっています。僕はパソコンを使った仕事や一人暮らしを目指している仲間のサポートをしています。例えば計画書や報告書の作成、年3回のイベントがあるのですが、その企画の仕事をしています。あいえるせんたーの仲間に仕事の内容を
認めてもらえたときが一番やりがいを感じます。


ちょっと困った出来事

電動車椅子で行っているのですが車椅子で、道を歩くと少しの段差や、でっぱり、坂が恐いです。
ある日あいえるせんたーからの帰り道に街路樹が植えてありました。僕はあいえるせんたーの仲間と喋っていて街路樹が植えてあることに気づかず、その根っこにひっかかりこけた事もあります。そのときは大声で「助けてください!」と叫びました。するとその声に気づいてくれた通りすがりの人と仲間が呼んできてくれたあいえるせんたーの職員さんに助けてもらいました。この出来事がきっかけで、当たり前のことですが、喋りながらでも周りを見ないといけないなと思いました。

続きはこちらから⇒「僕の人生すべりまくり➁」より具体的に一人暮らしの話やヘルパーさんのとの関係など記事にしてくれています。

もっと障害当事者のひとり暮らしの生活が知りたい方は

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